コメントっぽいこと

404 Blog Not Found:#空気本_ - 小飼弾が選ぶ最強の100冊+1
ここみてて仏教のところに気になった記述。

とはいえ、私は輪廻転生の概念だけはまだ飲み込めない。私にしてみると、この輪廻転生というのは諸行無常と矛盾するとしか思えないのだ。いや、諸行無常だから輪廻転生するとスマナサーラ長老はおっしゃるのだけど、輪廻転生というとあたかも自分の中の変わらない何かがそのままの形、すなわち無常でない形で現れるように思えるのだ。

矛盾はないんです。まぁ、ソフト屋さんだけにわかる言葉で軽く説明します。
Perl1.0とPerl5.0は、輪廻転生関係にあります。
で、変わらないコアってなに?

仏教の輪廻で語られる六道輪廻での転生関係なんてのは、ハードディスクがぶちこわれたからPCを移動するぐらいの話なんです。
PCの大きさに違いがあるので、たまにダウングレードになることがある。
つまり、PCからポケコンwになってみたりすることがある程度の話でデータ引継ぎという関係を輪廻転生とそういう定義してるわけです。
それで、LispのS式と同じ意味で、データはプログラムでもあり、プログラムはデータでもあるのが、意識です。
それで、プログラムはデータでもあるから、常に入力で変化していきます。
ダイナミックプログラミング)だからコンテキストを大事にしようというのが思想です。(諸行無常
ここでコンテキストが問題になってきて、コンテキストの良い人を運の良い人といい、善行の結果として定義します。コンテキストの悪い人を運の悪い人といい、悪行の結果として定義する。
コンテキストが悪いのを改善するには、コンテキストを良くする行為が必要で、コンテキストを良くする為に、善行を行い仏教を勉強しようというのがまぁ仏陀の教えですね。
さて、プログラムの最終仕様は、仏陀プログラムを実行することなんですが、そうしないとこの六道輪廻からは逃げられない。つまりずっと無限ループしているわけです。停止しない。(正確には阿羅漢プログラムで卒業)。
まぁそういう枠組み。
それで、最初のC言語の

int main(int args,char **argv){
printf("hello world");
}

ここから始まるプログラミングの流れの中で、いつ仏陀プログラムを起動できるのでしょうか?そこには、連綿としたプログラミングのコードの改善のフローがありますが、そこにコアなるものが必要か?
というと、そんなのはないでしょうと、あくまでも、流れに対して、同じ流れのプログラムというヒモをつけること(アイデンティファイ)は可能ですが、アイデンティファイするのに、コアを想定する必要はあるのか?というか想定できないですよね?

これがまぁ空であることのひとつの説明ではあるんです。
不変なる魂なるものは存在しません。ですがアイデンティファイすることは可能なんです。これをチッタとして、意識の流れとして考えることは、可能なんだけれども、それもまた無常ですということをきちんと認識しないと、仏教はわからなくなります。

ただ、輪廻したらまぁ別人ですからw、3代前のあの人と私は同一人物だと言ったところで、意味もなく。そうじゃないといったところでまた対して意味もなかったりもするわけです。全部引き継いでるけど、そこが表に全部出てくる人はめったにいないですしね。