Twitterでつぶやいたものを再編集

  • http://d.hatena.ne.jp/noragrammer/20100805 この問題からの答えをつらつらと書いていこうと思う。モデルから出てくる答えなのだけど、このモデル自体は中学生でも理解できるぐらいの簡単なモデル。考えるのにも偏微分関数解析とかもいらない
  • 需要>供給のとき、競争は妥当であり、市場は機能する。
  • 需要<供給のとき、競争は不当であり、市場は機能しない
  • 例えば、10人の人が物品Aを各1個必要としているとしよう。11個目を作ってしまったら、その被害は計り知れない
  • つまり、賢い生産者なら、こっそりその生産品ぶっこわして、ゴミ箱に投げるのが正しいのだ。
  • もしも、それを1個でも、必要としている人に、あまっているからと、渡してしまうと、どうなるだろう?需要が9で生産が10になるのだ。そしてそれを繰り返していくとどうなるだろう?
  • つまりたった1個余計に生産したせいで、10個の品物の在庫の価値が0円になってしまうのだ。この生産者は、おそらく破産するしかないだろう。このぐらいに、供給過剰の打撃は厳しいのだ
  • 現実的な生産品の食べものとかは、そこまで厳しくはなかったりするが、まぁおなかに1個余計握り飯が入る程度の話だからねw。
  • 工業製品とかでは、この供給>需要状態になってしまった場合は致命的。猛烈にもうかるはずの計画がたった1個、余計になったところで、破滅へのヒキガネを引くことになる
  • こんなのは、農家やってる人にとってなら多分身についている感覚。納得いかない値段で売るぐらいなら、一番上からいいものだけ出荷して、あとは自家消費にまわすか、ゴミとして畑にそのまま放置するのが正しいのだ。豊作貧乏は、かくも恐ろしい
  • そして、そういう状況なのに、捨てるぐらいなら、タダでもってけと善意で配るやさしい農家のせいで、同じ農家の誰かが、廃業に追い込まれるのだ。
  • さて、続いて、供給>需要の場合、答えはワークシェアのような、きわめて共産的、社会主義的な答えが正しい答えになる。労働協約マンセーであり、働かないのが正義であり、怠惰は美徳である。
  • 供給>需要のときに、一生懸命働く労働者は、キチガイであり、同胞への裏切りであり、殺し合いへのヒキガネを引く、バカである。
  • 労働者の供給が需要を上回るとき、豊作貧乏モデルにより、労働者の厳密な価格は0円にまでフリーフォールする。競争市場が導く数学的な答えは、これ。
  • つまり、働く必要がない人間は、早々と市場から撤退して、労働需給を逼迫させるように、しない奴は、社会的な罪を犯しているのだ。働き者は悪人であり、罪びとである。
  • 時給200円でもよく働く労働者は、労働者のカガミである。が、ゆえに、供給>需要のときの最大の罪人なのだ。
  • さて、なのに企業は、ミクロの競争条件からは、とにかく生き残りを求められる。労働者もそうである。供給>需要での、競争は、生き残るための戦略は、最高効率での経営が答えだからだ。
  • 供給>需要の場合、正しい答えは談合であり、ワークシェアである。にもかかわらず、1円入札で仕事をとり、誰かが死んで、供給<需要になるのを待つのが、戦略として、ベストになるのだ
  • である以上、資本の蓄積量が、企業の寿命の決定的な差である。供給>需要の場合、大資本への寡占化が完了し、中小企業が全部なくなり、需要>供給になるまで、どんどんと破壊されるのが、論理的な帰結となる
  • 日本がデフレ政策を開始して20年。なぜ街の商店街がつぶれてイオンだけが生き残るのか?当たり前なのである。供給>需要の場合は、相手をつぶすこと以外に生き残る道はない。そこには共存共栄などという、甘っちょろい言葉を言う余裕なぞはないのである。
  • さてというわけで、そういう状況での正しい政策は何かについて言及しておく。
  • つまり、労働者の需要<供給という現状では、生活保護、失業手当、ホームレスの保護、労働者の保護。これら全て、働かない社会的な無能者を保護していくのが実は正しいというのが、答えになる
  • ただし、問題は、財政赤字ということ。この財政赤字を気にして、プライマリーバランスを気にしながら、弱者保護をやるのであれば、それは、もっと自国を食いつぶす政策になる
  • つまり、いくらでも保護しますよ。安心して首になってください。ヒマな時間を趣味や文化活動に使ったらどうですか?という政策を、拡張財政で、大赤字でやりとげようとする意思があるなら、それはそれで経済学的に正しい答えになる
  • それはいつまで可能なんだというと、労働者の需要>供給になるまでである。そこまでは、一生懸命みんなで助け合って生きていこうよという、左翼、お花畑脳の言明が実はもっとも正しいところにあるのだ
  • おれ時給300円なみで働いているんだぞ。頑張ってるんだぞ。そこから税金を払って、そいつら社会的ゴミにお金貢いでいるのかよ。むっかつくーという価値観。正しいのだが間違っているのだ。
  • じゃあ、もう二人雇えばいいのだよ。そうやって労働需給を逼迫させないかぎり、労働者の賃金は0円にまで落とされていく。サヤヨセされていくのが宿命、プログラムなのだ
  • よろしいだろうか。まとめ:供給>需要のとき、社会保障的な政策は正義である。需要>供給のとき、市場原理主義は正しい。社会保障的、計画主義的政策は悪である。
  • しかし、まぁ、こういう条件をきちんと理解しないで、需要>供給のときに社会主義政策をマンセーして、供給>需要のときに、新自由主義構造改革マンセーするのが、衆知というものだろうな。世界観ってのは、一瞬で切り替わるべきなんですよ。
  • とりあえず、いいたいことはひととおりいいましたw。